Case File · US-1973-Coyne-Helicopter

コイン・ヘリコプター事件 COYNE HELICOPTER INCIDENT / MANSFIELD, OHIO, 1973

1973年10月18日夜、米陸軍予備役のUH-1Hヘリコプターがオハイオ州マンスフィールド南東を飛行中、急接近する赤い光に遭遇した。搭乗員4人は、灰色で葉巻形の物体が機体前方にとどまり、緑色の光で操縦席を照らしたと報告した。
機長ローレンス・コインは衝突を避けるため降下したのに、ヘリが約1,800フィート上昇していたと述べた。事件は陸軍予備役の正式な危険報告に残る一方、レーダー記録、写真、飛行データ記録装置はない。「記録された異常接近」と「未知の機体がヘリを引き上げた」という解釈を分けて読む必要がある。

発生日
1973年10月18日 23時05分頃
場所
米国オハイオ州マンスフィールド南東
分類
軍人目撃 / 航空接近 / 複数証言 / 機器異常の主張
主な争点
流星・航空機・錯覚か、通常では説明しにくい飛行物体だったか
航空博物館に展示された米陸軍仕様のベルUH-1Hイロコイ(ヒューイ)ヘリコプター。
事件機と同型のベルUH-1H「ヒューイ」 写真は事件機68-15444そのものではなく、1970年製の同型展示機。コインらは医療搬送部隊所属のUH-1Hで、コロンバスからクリーブランドへ戻る途中だった。画像を押すと別画面で表示できる。 Photo: InSapphoWeTrust / Wikimedia Commons · CC BY-SA 2.0

概要

確認しやすいこと

陸軍予備役の搭乗員4人が飛行中の異常接近を報告し、全員が1973年11月23日付の公式報告書に署名した。

資料上の強み

機長だけの単独談ではなく、操縦・航空機運用を知る4人の証言、同時代報道、物体スケッチが残る。

最大の弱点

写真、レーダー、管制録音、飛行データがなく、距離・速度・上昇原因は搭乗員の観察と記憶から再構成されている。

事件機は、クリーブランドの第316医療分遣隊に所属するUH-1H、機体番号68-15444だった。搭乗員は定期身体検査のためコロンバスへ飛び、午後10時30分頃に帰路へついた。天候は晴れ、視程は約15マイル、風は弱く、ヘリは平均海面高度2,500フィート、対地では約1,300フィートを90ノットほどで北東へ飛行していた。

午後11時すぎ、右後方席のクルーチーフ、ロバート・ヤナチェックが東の地平線上に赤い光を見つけた。当初は航空機か電波塔の灯火と思ったが、約30秒後には同高度でヘリへ向かっていると判断した。コインは操縦を引き継ぎ、衝突回避のため出力を伴う降下へ入った。

搭乗員の説明では、光は衝突直前にヘリの前上方で速度を落とし、灰色の金属的な葉巻形または流線形の物体として見えた。前端に赤い光、後部下面に緑色の光、上部に小さなドーム状部分があったという。緑色の光が操縦席を照らした後、物体は西へ移動し、北西へ向きを変えて去った。

事件を特に有名にしたのは、降下中に1,700フィートを示していた高度計が、その後3,500フィートを示し、毎分約1,000フィートで上昇していたというコインの報告である。ただし、これは独立した計測記録ではない。操縦入力と高度の関係を後から照合できる記録装置はなく、「物体がヘリを引き上げた」とまでは公式報告書も結論していない。

4人の搭乗員

Pilot in Command ローレンス・J・コイン大尉

当時36歳。陸軍予備役で19年の経験を持ち、固定翼機・ヘリコプター・水上機の資格を持つ機長。衝突回避操縦、物体形状、異常上昇を詳しく報告した。

Copilot アリゴ・ジェッツィ中尉

当時26歳、化学技術者でヘリコプター操縦資格を持つ副操縦士。当初は操縦を担当し、コインへ操作を渡した。接近時は主に強い光を見たとされる。

Crew Chief ロバート・ヤナチェック軍曹

当時23歳。ベトナムでヘリコプターのクルーチーフ経験を持ち、東の赤い光を最初に継続観察して接近を警告した。

Flight Medic ジョン・ヒーリー軍曹

当時35歳。飛行衛生兵で、民間ではクリーブランド警察の刑事。別方向の赤い光と、接近後の物体・緑色の光を報告した。

「軍人4人」の意味: 航空経験のある複数人が同じ機内にいたことは証言の重みを増す。一方、全員が同じ視界を持ったわけではなく、危険回避中の短い出来事を同じ環境で経験しているため、4件の完全に独立した観測とはいえない。

当夜から公式報告まで

コロンバスを離陸

4人を乗せたUH-1Hがクリーブランドへ向けて出発。飛行計画を提出し、方位約030度、高度2,500フィート、速度90ノットで巡航した。

東の地平線に赤い光

ヤナチェックがヘリの進路に対して右90度、東の地平線上に赤い定常光を発見。当初は遠方の通常航空機と考えた。

光が衝突コースへ

光の方位が変わらないまま急速に明るくなり、同高度で接近していると判断。公式報告では推定速度を600ノット超としているが、距離の実測がないため概算である。

コインが降下を開始

コインが操縦を取り、2,500フィートから1,700フィートへ降下。マンスフィールド管制へ高性能機の有無を問い合わせた。最初の呼びかけには応答があったとされるが、その後の返答は得られなかった。

物体と緑色の光を目撃

搭乗員は衝突に備えたが、対象はヘリの前上方で一時的に速度を合わせたように見えた。コインらは長さ50〜60フィートほどの灰色の構造、赤い前端、後部下面からの緑色光を報告した。

3,500フィートまで上昇

コインはコレクティブを下げた降下設定のまま、高度計が3,500フィート、上昇率が毎分約1,000フィートを示したと報告。最終的に約3,800フィートへ達したという後年証言もある。

物体が西から北西へ去る

対象は西へ進み、マンスフィールド空港の西側で約45度北西へ向きを変えたとされた。コインはヘリを2,500フィートへ戻し、クリーブランドまで飛行を続けた。

FAAと陸軍側へ通報

飛行計画を閉じ、FAAの飛行サービスへ事件を報告。陸軍予備役の担当者にも連絡された。搭乗員の一人ヒーリーは翌日に体験を録音したとされる。

新聞で最初の詳報

Cleveland Plain Dealerが、コインのスケッチとともに事件を掲載。同時代の公的報告と報道により、事件の基本形は早い段階で記録された。

「UFOとの空中衝突寸前」報告

陸軍予備役飛行施設の文書に、機体番号、時刻、飛行経路、降下と上昇、対象の動きがまとめられた。4人が署名し、正式な航空危険報告として残った。

公式報告書は何を記録したか

1973年11月23日付の米陸軍予備役文書。Near Midair Collision with UFO Reportという件名と、搭乗員4人の署名がある。
1973年11月23日付「Near Midair Collision with UFO Report」 陸軍予備役飛行施設から上級司令部へ送られた文書。機体番号68-15444、23時05分、マンスフィールド付近、2,500フィートから1,700フィートへの降下、その後3,500フィートを示したことを記録し、搭乗員4人が署名している。画像を押すと拡大できる。 U.S. Army Reserve report, reproduced in Jennie Zeidman, A Helicopter-UFO Encounter Over Ohio (CUFOS, 1979)

この文書の価値は、「陸軍が宇宙船を認定した」ことではない。飛行任務中に異常接近が報告され、部隊内の正式な手続きで記録されたことを確認できる点にある。件名にはUFOという語が使われるが、ここでの意味は正体未確認の飛行物体であり、由来について結論は書かれていない。

短い報告書には、物体がヘリの上で一瞬ためらい、西へ進んで加速したこと、コインがコレクティブを完全に下げた状態で高度計が毎分1,000フィートの上昇と3,500フィートを示したことが記される。一方、後年よく語られる磁気コンパスの回転、緑色光が色を消したという細部、約5分間という観察時間、地上目撃者は、この本文には含まれない。

コインが描いた物体

コインが航空危険報告の続紙に描いた物体スケッチ。灰色の金属的な船体、前部の赤い光、後部下面の緑色光、長さ50から60フィートという注記がある。
航空危険報告に添付された物体スケッチ 「灰色の金属的な船体」「前方の明るい赤色定常光」「後部下面から動く緑色光」「長さ50〜60フィート」と書かれている。写真ではなく、目撃者による形状説明である。 Drawing: Capt. Lawrence J. Coyne / U.S. Army aviation hazard report, 1973

コインの絵は、単なる光点ではなく構造を見たという主張を明確にする。同時に、夜間の短時間観察で、距離が分からない対象の実寸を求めることはできない。「50〜60フィート」は比較対象と見かけの大きさから出した推定であり、測定値ではない。

副操縦士ジェッツィは最接近時に強い白色光を中心に見たとされ、全員が同じ程度に輪郭を確認したわけではない。4人の証言は事件の大枠で一致するが、色・形・位置の細部まで完全に一致しているわけではない。

ヘリは本当に「引き上げられた」のか

コインの報告を数値どおり読むと、ヘリは2,500フィートから1,700フィートへ降下した後、操縦設定を変えていないのに3,500フィートへ上昇した。差は約1,800フィートで、事件の中で最も物理的に見える異常である。

しかし、残っているのは高度計を見たという記憶と、コレクティブが下がっていたという本人の確認である。操縦入力、エンジン出力、昇降率を時系列で記録するデータはない。降下中の高度1,700フィートは地上から約500〜700フィートに相当し、そのまま毎分2,000フィートで降下し続ければ短時間で地面へ達する。懐疑論者フィリップ・J・クラスは、衝突と地面を避ける反射的な操縦入力を本人が記憶していない可能性を指摘した。

逆に、搭乗員側は上昇時にも通常感じる荷重感がなく、コインはコレクティブが完全に下がっていたと繰り返した。後日のローター検査で異常な応力の痕跡はなかったとも報告される。ただし、それは未知物体が力を加えた証明ではなく、機体に明確な損傷がなかったという情報にとどまる。

数値の読み方: 高度計の変化は重要だが、「約1,800フィート上昇した」と「外部の物体がヘリを約1,800フィート持ち上げた」は同じ主張ではない。後者には上昇を生じさせた原因の証拠が必要になる。

地上目撃者は何を補強するか

CUFOSのジェニー・ゼイドマンが1979年に公表した調査報告では、後に見つかった女性1人と少年少女4人の証言が詳しく検討された。彼らは道路を車で走行中、赤と緑の光、ヘリコプター、ヘリの近くにある飛行船または洋梨のような物体を見たと語った。緑色の光で道路や木々まで緑に見えたという証言もある。

地上証言が同じ出来事を指しているなら、機内だけの錯覚では説明しにくくなる。しかし、この家族は事件当夜に軍や警察へ通報した記録ではなく、UFO研究者が後から探し出し、数年後に詳しく聞き取った証人である。時計で時刻を記録しておらず、正確な位置・対象との距離も推定に依存する。

したがって地上証言は「独立した同時代記録」と同じ強さでは扱えない。一方で、ヘリと別の光を同時に見たという具体性があるため、単に無視するのも適切ではない。成立時期と発見経路を明示したうえで補助証言として扱うのが妥当である。

記録上わかること

確認しやすいこと

  • 1973年10月18日夜、陸軍予備役UH-1H 68-15444がコロンバスからクリーブランドへ飛行していた。
  • 搭乗員はコイン、ジェッツィ、ヤナチェック、ヒーリーの4人だった。
  • 4人はマンスフィールド南東で未確認の発光対象との異常接近を報告した。
  • 11月23日付の陸軍予備役文書に事件がまとめられ、4人が署名した。
  • コインの物体スケッチと航空危険報告書が残っている。
  • 事件は10月21日までに地元新聞で詳しく報道された。
  • コインは1978年、国連の特別政治委員会で体験を語ったが、米政府代表ではなく私人として出席した。

確認が難しいこと

  • 対象までの実際の距離、速度、大きさ。
  • 対象が停止したのか、ヘリと近い角速度で動いて停止したように見えたのか。
  • ヘリの上昇中に行われた正確な操縦入力。
  • 管制との交信不成立が無線機の異常だったのか、受信・通信範囲など別の理由だったのか。
  • 磁気コンパスの回転など、短い公式報告書にない後年証言の細部。
  • 数年後に見つかった地上目撃者が、同じ対象を同じ時刻に見ていたか。

資料レイヤー

1973 陸軍予備役の公式報告

時刻、機体、飛行経路、降下と上昇、対象の動き、4人の署名を確認できる。由来や正体の結論はない。

1973 新聞報道と初期録音

事件直後の説明とスケッチを保存する。同時代性は強いが、速報記事には記者による要約が入る。

1976–1979 CUFOSの再調査

4人への反復面談、飛行経路の再構成、地上証人、航空機・流星説の検討をまとめた。資料量は多いが、UFO研究団体による分析である。

1978 国連委員会での本人陳述

本人が事件をまとまった形で語った公的会議記録。5年後の証言であり、米軍・米政府の公式見解ではない。

批判的分析 クラスの流星・操縦誤認説

赤い接近光をオリオン座流星群の火球、上昇を危険回避中の無意識な操縦入力とみる。重要な反論だが、長い観察時間と構造物の証言には弱い。

後年 「牽引ビーム」物語

緑色光と上昇が結びつき、物体がヘリを引き上げたという表現が定着した。搭乗員の報告を一段進めた解釈である。

論点マップ

通常の航空機説
根拠
最初は搭乗員自身も航空機灯火と判断し、マンスフィールド空港には空軍州兵部隊があった。
強み
赤・緑・白の灯火、接近、無線照会という航空交通上の状況を既知の機体で説明できる。
弱点
当時確認されたF-100はすでに着陸していたとされ、報告された停止、形状、無音、緑色光、急離脱と合いにくい。
流星・明るい火球説
根拠
10月18日はオリオン座流星群の活動期で、急接近する赤い光と短時間の強い発光は火球でも起こりうる。
強み
夜空の遠い光を正面から来る航空機と誤認し、衝突回避へ入った最初の段階を説明しやすい。
弱点
数分とされる連続観察、停止、灰色の輪郭、配置された光、方向転換、地上証言をそのままでは説明しにくい。該当火球の独立記録も示されていない。
知覚・操縦の連鎖説
根拠
衝突と地面への接近が重なる高ストレス状況で、距離・時間・操縦入力の記憶がずれた可能性がある。
強み
飛行記録装置なしでも、降下から上昇へ移ったことを通常の操縦と知覚の問題として説明できる。
弱点
航空経験のある複数人が、輪郭と光を近距離で見たという証言全体を単純な錯覚だけで説明するのは難しい。
未知の飛行物体説
根拠
4人の航空要員、公式報告、構造的なスケッチ、緑色光、異常上昇、後に見つかった地上証言。
強み
通常機や短い流星では整合しにくい複数の特徴を、単一の物体による接近として扱える。
弱点
写真・レーダー・物証・飛行データがなく、未知物体の性能とされる部分は証言からの推定に依存する。地球外由来を示す固有の証拠もない。

不確定なこと

  • 最初に東の地平線から接近した赤い光の正体。
  • 搭乗員が見た輪郭が物理的構造だったか、強い光と暗順応による見え方だったか。
  • ヘリが上昇へ転じた正確な時刻と、そのときのコレクティブ位置。
  • 緑色の光と上昇開始に物理的な因果関係があったか。
  • 無線交信が途切れた原因と、磁気コンパス異常の正確な継続時間。
  • 後に見つかった地上証人の時刻・位置が、事件機の飛行経路とどこまで一致するか。
このページの立場: 経験ある4人が飛行中に異常な対象を見て、正式な危険報告を提出したことは確かである。流星説は最初の接近光を説明する候補だが、報告された全経過との不一致が大きい。一方、異常上昇は計器データではなく搭乗員の再構成に依存し、未知物体による作用と断定できない。現存資料からは「説明の確定していない航空遭遇」とするのが妥当である。

なぜ重要か

コイン事件の強さは、軍人という肩書きだけではない。機体番号、任務、時刻、飛行状態、回避操作、4人の署名が一枚の公的文書に結びついている。単なる後年談ではなく、異常接近が航空安全上の出来事として記録された。

同時に、公的文書があることと、公的機関が正体を認定したことは違う。この事件は、その二つを区別する良い例でもある。陸軍予備役は報告を受けたが、空軍のプロジェクト・ブルーブックは1969年に終了しており、正体を決める大規模な公式調査は行われなかった。

1973年は、米国でUFO報告が再び注目された年だった。コイン事件のわずか1週間前にはパスカグーラ事件が報道されている。後年、コインは国連で体験を語り、緑色光と上昇は「牽引ビーム」の代表例として広まった。資料を読む際は、1973年の短い報告、1979年の詳細な再調査、その後の象徴化を順番に分ける必要がある。

国連証言の注意: コインが1978年11月27日に国連特別政治委員会で発言したことは会議録で確認できる。ただし議長側は、彼が米軍の代表ではなく私人として出席したと明言している。国連が事件を真実と認定したという意味ではない。

主要資料

U.S. Army Reserve report

1973年11月23日付「Near Midair Collision with UFO Report」の転記。機体番号、時刻、回避降下、上昇、高度、4人の氏名を確認できる。

公式報告書の転記を読む

Jennie Zeidman / CUFOS

1979年刊『A Helicopter-UFO Encounter Over Ohio』。公式報告書・スケッチの複写、4人への面談、地上証言、飛行経路、流星・航空機説の検討を収録。

調査報告書PDFを読む

United Nations official record

1978年11月27日の国連特別政治委員会会議録。私人として紹介されたコインが、天候、接近、物体形状、緑色光、上昇を陳述している。

A/SPC/33/PV.35を読む

Mansfield News Journal / UPI

1973年11月4日付記事の転記。コインの初期説明、機体の降下と上昇、物体の形状、空軍州兵機の確認を同時代報道から読める。

同時代記事の転記を読む

Philip J. Klass

『UFOs Explained』(1974)第29章で、オリオン座流星群の火球と危険回避中の操縦・知覚を組み合わせた反論を提示。流星説の適合点と弱点を比較するための主要な懐疑側資料。

資料所在と書誌を確認する

Smithsonian Magazine

1973年のUFO報告増加と、その文化が後の映画表現へ与えた影響の中にコイン事件を位置づける現代の歴史記事。

記事を読む

Wikimedia Commons

掲載したUH-1H同型展示機写真の来歴とライセンス。事件機の写真ではない。

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最終更新:2026年8月3日

資料を読む際の注意: 1973年の公式報告と新聞、数年後の再面談・地上証言、1978年の国連陳述、後世の「牽引ビーム」という表現を同じ強さで扱わない。

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